notes posted by Nakano

月〜金 23:55 おやすみ前に頭を鎮めよう。

2355のサイトに載ってるように
「きょうの終わりにほっとひといき。」

作る人は毎日何かを生み出してるけど
その苦労を感じさせず、モニターに映し出す。
そんなさりげなさが「プロ」って感じ。

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過去の新聞を開いてみる。
記事のおおよそ半分以上が
過去に関することが書かれている
これからのことや未来に向けてのことなどは
残念だけどわずかである。
震災以降、最近その紙面を飾る「単語」に
すごく重要な意味や事柄、事象などが含まれてる。
その見出しにはナーバスになったり
落ち込んだり、スランプになる要素が多く含まれる。

でも「広告」というものは
そういうネガティブな要素は排除される。
それは未来を表現しないといけない
明るいニュースを届けることが指名なのだから。
不幸なものや現実的なものに目を向けながら
ポジティブにそれを飛び越え未来への思いを届け
いい広告をつくるデザインやコピーがあれば
少しでも世の中のためになるのではないのでは?

新聞はネガポジが混在してる不思議な紙である。
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先日新聞に載っていた山下敦弘さん。
(映画「リンダ・リンダ・リンダ」の監督)
学長の言う
「面白いものさえ作れば後からお金はついてくる」
は気がつかないうちに失っていたことを
思い起こさせてくれる言葉。

自分が思う仕事というものは
「いいものを作れば仕事はついてくる」
という考えでやってるので、
ついつい忘れないようにしなくては。
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で、自分たちの基本ってどこにあるのかとふと思い立って
いろいろな明朝(基本体)をトレースしてみると
いろんなことが、今更ながらわかる。
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模写やトレースがすごく下手になっていて愕然とする。
でも、描くことを増やそう。と思う。

カンヌ映画祭でアメリカ人映画監督テレンス・マリックが
『The Tree of Life』でパルムドールを受賞。
1978年『天国の日々』(乾いた麦畑の空気感ある映像とリチャードギアがいい)
1998年『シン・レッド・ライン』(戦争映画で世界一きれいな映像だと思ってる)
2005年『ニュー・ワールド』(アメリカ先住民と開拓者の物語で美しい映像)
すべての映像に共通する「自然の光や風や音」が素晴らしい。

作ってる映画は少ないのでとても楽しみにしてきたが、
賞を取ったので福井での配給も早いかも。

GANTZを見る。
よく作ったなあ、あの世界をというのが率直な感想で、完成度はすごく高いと思う。
01は原作の漫画を脚本にしていて、戸惑いやドキドキする感覚などがいいし
02はオリジナル脚本らしいけど、こっちの方が動きもよく
ガンツスーツを着るとみんな強くなって格好いい〜と感心してしまった。
普通に子どものように素直に、その時間だけ漫画を読んでるかのように
映像にのめり込めるそんな映画は素敵だ。
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東日本大震災の被災者支援のために
FUCA(福井クリエイターズアソシエイツ)で
何かをすべきではと、丸山氏のメールから始まったCRの会議。
第一回の会議3月28日から始まり、週一で集まり詰めていった。
最初は手探りであれしよう、これしよう、何しましょう?だったのが
早い段階でチャリティ・バザーということに。

段取りや役割、連絡や情報整理や広告等やることは
いっぱいあったけど、皆さんのすばらしい責任感で
なんとか5月13日のミーティング・パーティが無事終了。
心配していた参加人数も100人弱と予定通り。
今週5月21日(土)・22日(日)はバザーの日。
皆さんもう少しがんばろう。

実行委員と言っても、企画して案内しただけで
自分たちも集まった人たちと同等のボランティアの立場。
参加者も参加するだけでなく、CRのいろんなものに協力していただけると
ありがたいし、次の年代の人にも続けてもらいたい。
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黄金週間なので映画を。
市民ケーンって評論を読むたびに
また見なくちゃと思っていた映画で、
何十年も前にみたので記憶していないところがいっぱいあった。
皆さん言われるとおり、映像作りや手法の基礎が
ここにはたくさんある(らしい)。最後に解説あり。
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25歳の俳優オーソン・ウェルズが作った映画史上ベストワン。

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ラッセ・ハルストレム監督のマイライフ・アズ・ア・ドッグも25年ぶりに再度見る。
あの頃の感情と今は変わった。

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殯の森(もがりのもり) カンヌって本当にこういう映画に評価が高い。
やっぱり尾野真千子さんすごい。

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ジム・ジャームッシュ監督のCOFFEE AND CIGARETTESもメトロ以来。
かっこよすぎ。またストレンジャー・ザン・パラダイスを見たくなる。

震災の、あれから一週間が経った。
まだまだざわつく感じ、心もとない感じはあるし
どんなに強く思ってても無力感は引きずる。
テレビの映像は徐々に普通に戻りつつも、
ワイドショーはニュースっぽく流してるつもりでも
なぜかウソっぽくみえる。
CMも3日目ぐらいからほぼACで占められる。
嘆くようでいやだが、あんなに流されても...。

2〜3年前から思っていたことだが
流れてるものを見て感動や感激、五感を刺激するCMが
本当に少なくなった気がして悲しい。
「昔は景気が良かった」とかの言葉だけでは済まないと思う。
企業や制作者が変わったのか時代なのか、僕にはわからない。
こういう状況でも、流せるCMって作っておけないのかなと
単純に思う(そんな簡単なもんじゃないって怒られそう)。

昔はこんな素晴らしいCMがあったんだ。
というなつかしさも込めてリンクさせていただきます。
「サントリー 子犬篇」
「サントリー 明日がある」
「資生堂 企業」
「資生堂 シフォネット」
「PARCO」
「サントリー ジャックダニエル」
「キューピー アメリカンマヨネーズ」
「いすゞ ジェミニ」
「日産 フェアレディZ32」
「西武 ベビースイミング」
「Nationalのあかり」
これらは、CM制作する人たちにとってどれだけ夢や勇気を与えたんだろう。

当日、全国に元気を出すため流して欲しかった素晴らしいCM
「九州新幹線全線開業 祝!九州縦断ウェーブ CM「総集編」180秒ver.」

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3/12夕焼け

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インタビュー集「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」(文藝春秋刊)から
村上春樹さんの言葉を借ります。 2003年『海辺のカフカ』の頃。
 「〜今、世界の人がどうしてこんなに苦しむかというと、自己表現をしなくてはいけないという強迫観念があるからですよ。だからみんな苦しむんです。僕はこういうふうに文章で表現して生きている人間だけど、自己表現なんて簡単にできやしないですよ。それは砂漠で塩水飲むようなものなんです。飲めば飲むほど喉が渇きます。にもかかわらず、日本というか世界の近代文明というのは自己表現が人間存在にとって不可欠であるということを押しつけているわけです。教育だってそういうものを前提条件として成り立っていますよね。まず自らを知りなさい。自分のアイデンティティーを確立しなさい。他者との差違を認識しなさい。と。これは本当に呪いだと思う。だって自分がそこにいる存在意味なんて、ほとんどどこにもないわけだから。タマネギの皮むきと同じことです。一貫した自己なんてどこにもないんです。でも、物語という文脈をとれば、自己表現しなくていいんですよ。物語がかわって表現するから。
 僕が小説を書く意味は、それなんです。僕も、自分を表現しようなんて思っていない。自分の考えてること、たとえば自我の在り方みたいなのを表現しようとは思っていなくて、僕の自我がもしあれば、それを物語に沈めるんですよ。僕の自我がそこに沈んだときに物語がどういう言葉を発するかというのが大事なんです。〜」

確かに、物語やエッセイを読んでも「自分が、僕が」といった押しつけがましさは全然ない。
あとがきのインタビューについてあまり気のすすまないこととして
『作家はあまり自作について語るべきではない」
「何度インタビューを受けたところで、僕が言わんとすることは限られたもの」
等々ここにある言葉は、ほんの一部抜粋させてもらっただけでとても奥深く考えさせられる言葉の連続。
『物語』『作り話』のフィクションを書いてるときには悩まずすらすら書けるらしい。
とても孤独な作業だ。でも書けたらどんなに楽しいことだろうとうらやましく思う。
物語を書ける人は一番尊敬できる人かも。

僕らの商売ではクライアントに合わせた広告やイベント、映像映画づくりなどは共同作業が多い。
でもグラフィックデザインは広告など除けばほとんどが自己表現に近いのかも。
村上さん流に言えば「自我をデザインに沈める」ということ?
広告作ってる副田さんも自分を出さないって言ってたけどおもいっきし出てる気がするけどなあ。

そういえばこの本の本文の書体は最近では珍しく
写研の石井中明朝体MM-A-OKLを使っててとても綺麗だ。
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好きな雑誌の休刊ほど淋し〜ものはない。
切ない。
Coyote...
僕はそんなに旅人でもアウトドア派でもないので
それほど内容に合わせた生活はしていない。
でも安っぽくない、贅沢な作りなのである。
特集、編集、ロゴ、キャラ、写真、イラスト、文字(タイポグラフィ)
すべて大人の作りだったのに。
アウトドアなどギアにほれぼれする広告も。
谷山彩子さんのイラスト、とてもいいなあ。

PHOTO GRAPHICA...
休刊ではなく不定期刊行らしい。
でも今号にはアラーキーの「休刊」が。
残念。
ADが中島英樹氏になってピシッとなった気がする。
写真に興味ない人もすごく楽しめる作り。
それにしても野口里佳さんの写真は
なんて物憂げできれいだ。

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今みたいに情報がすぐに手に入らずにいた
20代の頃にパーマネントコレクションなるものに感化され
教科書として愛読し続けるBRUTUS。
最近は昔ながらのBRUTUSに戻った感じがする。
徹底的に取材する姿勢とビジュアル。
忘れかけてる「大人」をもう一度思い出させるような最近のBRUTUS。
確かに今の時代安いモノがあふれすぎて
窮屈な中で選ばれてる気がする。ある意味仕方ないけど。
でもそんな生活の一部に少しでも価値あるモノに
触れたり買ったりして、いいものはいい、と思わせるものを
一つでも持ってると幸せな気持ちになる(はず)。

BRUTUS STYLEBOOK 2010-11 A/Wに
掲載されていたマイ、オールデン。
新品よりも履き込んだものの方が断然格好いい。と書かれていて
みんな20年ものや30,40年ものまである。
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なるほどなぁと感心し、自分も余裕があった頃に買ったAldenをBRUTUS風に。
革底なので福井では履く時期が限られるが
スエードの方は確かに20年は経ってる。
プレーントウは15年は経ってる気がする。
淋しいがこれを教えてくれた彼はもういないけど長く履かなくては。
甲高幅広の僕の足にもぴったりフィット。

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